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長崎市議会議員選挙の思い出。

長崎市議会議員選挙の思い出。

こんにちは!Hirokiです!

今回は前回の統一地方選、長崎市議会議員選挙に出馬した時のことについて書いていきます。
次どうしようかなとか考える自分自身のための記事にもなります。



長崎市議会議員選挙の思い出。


    

  • 当時のマニュフェストは何だったの?
  • 市議会議員になって何がしたいの?
  • おわりに・・・
  • 当時のマニュフェストは何だったの?

    懐かしいです。なぜいまこの記事を書くに至ったか、もうすぐ統一地方選があるんですよね!

    前回市議会議員選挙に出馬して落選して、もう4年。いろんなことがあった。書ききれないくらい。

    いま一度、当時の自分を振り返ってみようと思います。

    マニュフェストを振り返ってみよう

    ①長崎の若者世代の人口減少対策
    ②廃校を活用した保育システムの改革
    ③海外展開可能なサブス事業の推進
    ④社会人向けのRe-Start教育

    順番に見ていきましょう。

    ①長崎の若者世代の人口減少対策

    若者世代の人口減少対策について触れていました。動画って便利なもので、当時、自分が話してた内容を久しぶりに見返してみました。

    間違ったことは言ってない!!

    若年層の人口流出に歯止めをかけることがいかに困難なことか理解しています。だからこそ流出は避けられないものとして「知識還元」について熱弁してます。

    そもそもなぜ長崎から若年層が流出するか、簡単です。都会と同水準で稼げる仕事が無いから。

    異論は大歓迎ですが、僕も会社員の時は人並み以上に成功していた自負があります。高い給料をいただき、誰もが知る会社の人間であることが自分にとって全てだった時期もありました。僕の場合は独立して長崎に帰ってきましたが、30過ぎると友人からもよく相談を受けます。「長崎に帰りたいな」って。

    でも帰って来れた人は一人もいません。

    長崎の市議会議員は約50万円を手取りとしていただくらしいです。その中から交際費が出ていったり。

    50万円という給料は高いでしょうか。

    約1,000万円の総支給があったとしましょう。市議会議員になってその給料、高いでしょうか。

    35歳の僕の同級生たちの方が関東でよっぽど稼いでいます。僕は25歳で年収1,000万円に到達しました。

    要は無理なんですよね。大人の都合で優秀な若者を長崎に引き留めることは、その子が将来的に飛躍して日本を素晴らしい国にしてくれる可能性を奪うことにもなるんです。

    活躍できる人は活躍できる場所へ。そして長崎に残る我々は、羽ばたいていった彼らから様々な経験や知識をフィードバックしていただけるよう、彼らをフォローアップしていくことが最優先事項じゃないかと思うんです。知識はより遠くから、行動は長崎に残る我々が。そうすれば人口流出なんてさして問題にはならない。人口が減る前提で超効率的社会の構築を急ぐだけ。

    直近の課題は介護関係くらいかな。

    ②廃校を活用した保育システムの改革

    江戸川区の保育ママ制度について触れていました。

    僕は待機児童問題とかよりも保育士の給料が安すぎる問題にもう少し切り込むべきだと思います。

    社員としてフルで働いて円によっては手取り13万円だったりするわけで。現在、幼保は無償化されています。では誰からお金をもらっているか、国からです。

    なぜ、国から保育料が支払われているのに保育士たちの給料は安いままなんでしょうか。園が儲かっている以外考えようがない。

    とは言え園だって、園児数に対する支給をされても困るわけですよね、安定しないから。

    だったら制度をどうにかしよう。現状に則するならば受け入れ可能人数ベースの支給にするとか。100人入園できるなら100人分支給する。そうすれば保育士にも十分な給料が支払われるはず。

    でも必ず出てくるのが100人受け入れれるのに50人しか入れない園とか。だったら実態調査を義務付けて2年ベースとかで見直せばいいと思う。コロナの空床問題みたいな。

    現状と違う制度にするならやはり「廃校を活用した保育システムの改革」でしょう。

    これは保育士に直接子どもを預けて、廃校で集団保育するという制度です。長崎なんて廃校いっぱいあるんだから、狭い園庭や近所の公園よりも廃校を開放してあげて全力で走って大声で遊べる環境を用意してあげた方が効率いいと思います。

    保育園を介さないので直接的に保育料が保育士に入り、給料は飛躍的に増えますよ。そんなことを4年前に話してました。いまでもそうしたいと思っています。

    海外展開可能なサブス事業の推進

    これは養殖技術をパッケージ化してアジアを中心とした海外にサブスクモデルで輸出したらどうかというものでした。

    素晴らしいもので、実際にそういった考えが出てきています。
    あと洋上風力発電や潮流発電なんかも。

    是非、飛躍してほしいものです。

    社会人向けのRe-Start教育

    これは最近、岸田総理がおっしゃっていて自分としては勝った気になりました!何せ4年前に言ってたので。

    ただ、岸田総理の発言は「リスキリング」に近く、僕の考えは「リカレント」寄りです。

    市議会議員になって何がしたいの?

    前回のスローガンは
    「壊すことから始まる街」
    だったように思います。

    お金はいいんです。僕の場合は。

    前回と現在では選挙に対して思うことが全く違います。

    前回は市議会議員というものが崇高な仕事だと思っていたように思います。いまは全く思いません。ただ、長崎のためにやりたいことがある。誰もやってくれなくて納得のいかないことがある。いまの自分の立場じゃ成せないことがある。だから自分の意見を通すためにただその椅子が必要。そんな感じの認識です。

    新幹線、MICE、なんじゃあの駅前の悲惨な構造はと。観光都市の一等地に県庁や県警。誰が許可したんだと。

    もっともっと、長崎に住む子供たちが、長崎に来た大学生が、長崎に過ごすファミリーたちが楽しくて仕方ない街にしよう!右見ても左見ても病院や介護施設ばかり。確かに必要だけど、同じくらい娯楽や遊びは必要だと思います。

    ラウンドワンに行くために佐賀に行ってるのが僕らの現在地。

    これからこれから!

    おわりに・・・

    4年という時間はあまりにも早く、ただその中にある思い出はこれまでの人生の全てを凝縮したようなものでした。

    人生はジェットコースターって言いますが、この4年を例えるなら、いまは無きスペースワールドの「タイタン」のよう。

    僕らはまだこれから何だってできる。僕らが変われば街も変わる。

    そうやって、古い体制から良いものだけを受け継ぎ、新しい世代にバトンを渡す役目を僕らの世代がやらないとね。

    って思います。

    出馬は明言しませんが。笑

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