こんばんは。Hirokiです。
最近感じる『若者』と『おじさん』の境界線。
僕なりに発見した境界線をみなさんはどう思うでしょうか?
思考と知識
若ければ若いほど知識が多く、思考力が低い。
30代以上は知識が少なく、思考力が高い。
似て非なるもので、僕が見つけた境界線がこれです。
少しだけ、少なくとも僕が感じたことでキツイことを書きます。
実体験を含めない知識を持ちすぎてて、体験をしてない。やろうともしない。
無駄を省くのはずごくいいことだけど無駄がなぜ無駄だったかを知らない人が多いんだと思う。
僕はバイクをいじるのが好き。ブログを読んで他の人がどうやったか調べるけど実はそんなに簡単じゃないことが多い。
ボルトの締め方知っててもどの程度の締め方でいいのか、ヘッドライトの調光はこれでいいのか、自分の場合ではどれくらい時間がかかるのか、全ては経験して初めて知ること。
「知ったつもり」は知らないのと同じなんです。
日本人は過程ばかりを気にして結果にこだわらないと言われる。ですが、そもそも結果を出すことを正としてその上で得られる経験が大事なんですよね。
知ってても経験してないなら実は何も得てない。自分がやってみて初めて自分なりの考えが生まれるし、経営者の本を読んで経営をわかった気でいても自分が実践したら同じ結果にはならない。この会社は年収600万円だから入社しようとか、安定してるからここにしようって考えもおかしい。そもそも未来に起こる出来事を想像するには経験が必須だから。
知識を道具とした場合、思考力はその有益な使い方を指す。
使い方を知らない、使うこともない武器はいつか錆びる。知識に重きを置くならばせっかく得た知識を常に磨き続ける必要があって、それは使わないと意味がない。思考を武器にする人は必要な武器を自分の持ってる中からあつらえて、大剣にも小刀で勝てる方法を考える。小刀の使い方を知ってる人はただ大剣持ってる人には負けない。
弘法筆を選ばずって言葉はその最高峰で、豊富な武器(知識)の中から何を選んでも最上級の答えを出せる人。これは要するに自分の持つ全ての知識を有効に使える思考力を持つ人なんじゃないかな。
僕は31歳で、アナログからWEBへの移行をもろに経験してきた幸運な世代です。
アナログから得やすいものは思考力。
WEBから得やすいものは知識。
簡単なこと。若者は意識的に思考力を磨けばいい。知識はそこら中に溢れてる。中年以降は知識を磨けばいい。思考力はある程度備わってる。これがお互いが相容れる最高の歩み寄り方なんじゃないかな。
WEBで体験できない最たるものが人間関係でしょ?自分が幸せになるには人を喜ばせたり人に必要とされたりすればいい。WEBに書いてあることやっても得られる結果は違うから。自分の苦悩があって友達の苦悩を知って、本心で助けてあげたくて、本心で感謝できて初めて理解し合えるのが人間関係。対会社も同じこと。経営者は常に全ての従業員に感謝して、従業員は同僚や会社を大切にすること、これが会社のあるべき姿。
僕が今日書いたことは読んでも本質は絶対に理解できない。理由は僕がなぜこれを書くに至ったかは誰もわからないから。それでいいんじゃないかな。
この記事を読んだ人が自分なりに何かを実践して何かを得たなら是非話をきいてみたい。その人の生の声や思考を学びたい。そしてこれこそが高めあえる関係。
人に歴史あり。でもそれは感情ありき。人の感情まで思いを馳せて学ぶことが思考力向上の近道かもしれないですね!